最近の発信はフェイスブックやインスタグラムとなっておりますので、そちらをご覧になっていただければと思います。
丹羽晃成で検索すれば出てくるかと。
どうぞよろしくお願いします。
]]>
あまりに急で信じられない状況であったが、事実は事実。
当日も普通に生活しておられた。
自治会の班ではまとめ役であり、重鎮的な存在であり、まだまだ色々と教えていただきたいと思っていた矢先の出来事。
病気という病気もせず、元気でしたが、あっという間に逝ってしまわれました。
逝き方としては、理想的な「ピンピンコロリ」である。
でも、まだまだ早すぎる逝去。
これで自分たちの班や自治会も統制が乱れてくることは必至。
個人的には必死に変革しようと試みたけれど、返ってきたのは「反発」のみ。
こんな古臭い、融通の利かない自治会は正直うんざり。
堪えてはみたけれど、堪忍袋の尾は切れました。
孤軍奮闘。
もう、やめた。
重鎮には心からのご冥福を祈るばかり。
本当に惜しい人を亡くしました。
]]>
全国的に有名となった「道の駅平成」と平成地区は今、
「平静」の知となりました。
あの頃が嘘だったかのように「普段」の光景が拡がっています。
そして地元の人々はその騒がしかった出来事よりも昨年の水害を思い出します。
7月7日未明に津保川河川は氾濫しました。
もうすぐ、1年が経ちます。
梅雨の最中ですが、気象は相変わらず「異常」が続いています。
いつ、また起こるか分からない、災害。
何事もなく、過ぎることを期待して。
]]>
新元号が決まった日と元号が変わる日には
道の駅「平成」は未だかつてない賑わいを見せました。
ゴールデンウィークも重なり、テレビ局も沢山詰めかけていました。
すぐ近くに住む自分にとってはいつもと変わらぬ道の駅。
ここまで人が押し寄せるとは思わなかった。
想像を超す大渋滞により出掛けることも困難な状態。
駐車場では日付が変わってもそこそこの人が居たようです。
今日は「令和」の初日。
潮が引いたように、こちらは静かになりました。
これからはより一層静かになっていくのではないかと。
]]>
今回初めての「選挙活動」を経験。
終わってみて、正直な感想。
「大変」の一言。
選挙は色んな人が関わっています。
候補者もスタッフも皆「新人」ばかり。
有権者に叱咤激励されながら、何とか乗り切り、
そして肝心なのは「当選」すること。
今回、それが実現できました。
でも、疲労困憊。
4年に一度の選挙。
次回は「逃げる」かも。
]]>当たるはずがない、ということで、今回やはり見事に発表の瞬間、ほぼ全国民が「えっ」と
声を発したのではないでしょうか。
自分の住処は、あの「平成」で有名になった平成のある町で、パブリックビューイングの設けられた「道の駅 平成」は
歩いてすぐの場所。
テレビ局が合計8局も来ていたというから、平成時代で最大の注目を浴びた瞬間でもあったかと思います。
あと1カ月足らずで平成は終わりますが、この賑わいは5月以降どうなるのか、平成の地に住む者として、しっかりと
見届けたいと思います。
]]>
タイヤもスタッドレスからノーマルへ戻しました。
今年は気温が低い日が沢山ありましたが、例年と
違うのは、「雪」が殆ど降らなかったこと。
降り積もる雪は皆無。
道路が凍るのも皆無。
なので、スタッドレスの役目も皆無でした。
恐らくこのまま春の陽気へ向かっていくのだと
思われます。
梅の花もちらほら見かけています。
あと1カ月で平成30年度も終わります。
]]>
症状が絵に描いたように「言われたとおり」
熱の出方や下がるまでの時期、その後の安静時間などは
ほとんどマニュアル通りの展開でした。
風邪は人に移ると治る、というのはよくあることで、
結局、自分も「妻」に移してしまいました。
そして自分は回復。
今度は自分が介抱する番になりました。
でも二日苦しんだ自分に比べ「ワクチン」を接種している妻は
一晩で熱が下がりました。
これが予防接種をしていた「メリット」というところでしょうか。
接種して一晩、しなくて二晩。
どちらを取るか。
]]>
とか言いながらいつも自分はもうかれこれ30年近く風邪も引いていないので
インフルエンザにも当然かかったことがなく、ワクチンの過去に1度打った記憶が
あるぐらい。
しかし、今年の猛威はあっという間に身体に入ってきました。
金曜日の晩に寒気を覚え、土曜日の朝一番に行きたくない病院へとりあえず検査のために行き、
鼻にこよりのようなものをすーっと入れられ「これがあの検査か」と実感しながら検査結果を待てば
約5分後に運命の「残念なお知らせですが」という先生の手元にある検査キットには
「A」のところが赤いラインとして表示されており、これで「確定」しました。
あとは所定のお薬を貰いそのまま家での「監禁生活」となりました。
ワクチンを打っていなかったせいか熱は40度まで急激に上がり、二日間は自家発電機のように
熱を発し続け、それに伴う「苦しみ」もありました。よく言われる節々の痛みこそ全くありませんでしたが、
高熱は体を消耗させ、睡眠も奪いました。
火曜日(今)になり熱はやっと36度台まで下がりましたが医者からは熱が下がってから二日間は外部と接触しないようにと
言われていますので、もう暫く、監禁生活となります。
いつも思う、病気になって改めて健康であることの大事さを実感する。
今がそう。
]]>
当事者と思われる方が見ないことを願って。
当方、フェイスブックとインスタグラムは拝見したり、たまに投稿したりしています。
SNSは誰しもが関わっているものだと思います。
登録した当初は誰もが挙って投稿したり、「いいね」したり。
でも、マンネリ化すると飽きてきます。また「ネタ」が尽きると
投稿も次第にしなくなり、他人のを「見る」だけになってきます。
そういう中で続けている人に見られる「傾向」とは。
・自分が好きで堪らない。(ナルシスト)
・「いいね」が沢山ついて嬉しい(それを「人気があると」真に受ける)
・おそらく家庭では孤独(しかし家庭が幸せだという様子もアップする。)
・自慢したい。(幸せ度を公表したい)
・世間をあまり分かっていない。(本当はどう思われているのか分かっていない。)
・とにかく自分の姿をアップする(自我が強い)
・同じような仲間がいる(コメントしてくるのが同類の人)
などなど。
見ていて「楽しい」のはよく分かりますが、心理を探っていくと上記のような
印象がどうしても見えてきます。
嫌なら見ない、ブロックすれば、とも思いますが、敢えてこういう方の言動、投稿を見るのも
「変」に面白いので見たりします。
「ここまで自分を推すかぁ」とか
「つまらんコメントの応酬やぁ」とか
「しょうもない・・・」とか
思いながら。
そしてこういうつまらないのを見ながら
自分はこうなってはいけないと
「反面教師」にしながら、自分の投稿に役立てていきたいと
思う今日この頃です。
本当なら本人に直接コメントを入れたいのですが、バッシングされたり
通報されるのは困るので、ここで毒を吐く事にしました。
当事者の方はそれが「自分」だと気づいていないと思われますので、多分大丈夫だと思います。
ただ、それを承知のうえで投稿している人は、本当に「偉い・凄い」としか言えません。
]]>
本年もよろしくお願い致します。
正月三ケ日は穏やかな晴天が続きました。
幸先の良い出だしとなりましたが、事件や事故も既に発生しています。
初詣でのおみくじは「吉」でした。
一番無難な「吉」
今年一年、「吉」で終われるような、そんな年になれば
それで幸いです。
]]>
残すところあと二日となりました。
帳尻を合わせるように、気温もぐっと下がりました。
平成最後の年末。
「災」の字の如く、今年は本当に災難が全国各地で起きました。
色んな人が色んな思いで迎える年越し。
色々ありましたが、2018年もこれで見納め。
感慨深い1年でした。
どなた様も良いお年をお迎え下さい。
]]>
札幌では爆発事故もあり、年の瀬でも予想外の
災難や災害が起こっています。
天候も一気に寒波が迫り、急激な寒さに体も
ついていかない状態です。
平成最後の年越しとなりますが、全体を通してこの
「平成時代」は良かったのか、悪かったのか分からない
というような「年越し」となりそうです。
文明は劇的に進歩しましたが、どこか住みにくい
世の中にどんどん進んでいきそう。
]]>「災」でした。
奇しくも自分個人の一文字と一致しました。
また予想していた「終」は第3位でした。
自分だけではなく、国民でかなりの数が「災難」を
受けたことの証でもあるこの「災」
去年は確か「北」
あまり良い一文字ではなかったような。
来年こそは、良い一文字になるよう祈願します。
でも、多分来年は「元」か「新」になるような予感が
します。
]]>
毎年この時期に一年を表す「一文字」の漢字が
発表されます。
どんな漢字になるか分かりませんが、自分事として
考えるならば「災」か「天」というところでしょうか。
「災」は災難によるもの。7月に雨(水)の洪水で被災し、
9月には台風(風)により被災したことが強く印象に残っています。
「天」は天候、天気によるもの。
天災も含んでいます。
日本全体で考えると、果たしてどのような一文字になるのか、
少しだけ注目してみます。
平成最後なので「終」という言葉になるかも。
]]>
例年と違うのは「気温」と「景色」
まだ、暖かい日々。
東京では真夏日もあったとか。
そしてこちらでは、まだ「紅葉」の最盛期
12月だということを忘れさせてくれます。
ちまたでは「豚コレラ」の感染でえらいことになっています。
これも「気象」が関係しているのかもしれません。
平成最後の1年ですが、振り返れば「災難」続きの1年、という
結果になりそうです。
地元では「ありがとう平成」のイベントから
「がんばろう平成」の名目に変わってしまいました。
終わりよければ、全てよし。という訳にはいかなかった
「平成時代」の30年。
]]>
天気予報では、10月上旬の陽気になるとか。
これだけ天気の変化が大きいので「風邪」など体調を
壊す人も多いようです。
台風の心配も無くなり、一見穏やかな日々となりそうですが、
こちらの山では「豚コレラ」でイノシシの伝染が拡がり、
人は「風疹」の伝染がこれもまた拡がっています。
7月の河川氾濫の復興もまだ進行中。
北海道の地震や西日本の災害も復興最中。
天気が穏やかでも心穏やかに過ごすことが難しい人々が
まだ沢山おります。
自分もその一人であります。
]]>
気温の低下と共に、紅葉は見頃となっています。
11月は産業祭や収穫祭など「食」に纏わる祭事が多いので
楽しみではありますが、個人的には自治会の秋祭りで休みが潰れて
しまうので、残念ではあります。
薪ストーブは昨日「火入れ」をしました。
今年は少し早い出番かも知れません。
ただ、今シーズンは薪が多めに確保してあるので、
かえって良いのかも。という気持ちです。
]]>
週末は高山(飛騨古川)の蕎麦祭りへ行きました。
道中の山は紅葉度80%程度でしたが、景色は
良かったです。
帰りには高山の古い街並みを散策。
もう何度来た事か分からないぐらい来ていますが、
相変わらずの人混みで、外国人も沢山いました。
古川では蕎麦2種類、五平餅、高山では飛騨牛串、飛騨まん
そして帰りのサービスエリア(ひるがの)では牛乳ソフトクリーム。
日帰りで行けるコースとしては最適のうちの一つです。
これからしばらくは秋の祭りで楽しめそうです。
]]>まだまだ「蝉」が鳴いていたと思っていたら、急に「秋」の気配。
蝉は「雨」の日には鳴きません。
10月は雨の日が多く、その続きで気温も下がってしまいました。
蝉の声はもう聞えません。
秋と言っても暦の上ではもう冬に近づいています。
さすがに「半袖」はきつくなってきました。
台風も大雨も、過ぎ去って、ようやく「平穏」な
気象になる、と思われます。
これから「紅葉」の季節。
ゆったりとした「週末」を過ごせれば。
]]>鳴り響きました。
車同士の事故です。
道路を塞ぐ形で2台が止まっていました。
たちまち道は大渋滞です。
集まった人達と人力で車を動かそうとしましたが
びくともしません。
渋滞の2台目にいたユニック付きトラックの機転で
ロープをかけ動かすことになり、自分は「交通整理」を
しようと動きました。
同じように別の二人が急遽加わってくれ、パトカーが来るまで
誘導してくれました。
救急車2台、消防車(レスキュー)、パトカーが現場に急行しました。
1時間ほどだったかと思いますが、パトカーの警察官に誘導を
バトンタッチするまで3人で交通整理をしました。
ここは7月に豪雨災害のあった川沿いの場所です。
その際にボランティアの方には本当にお世話になったので
今回はその恩返しという訳ではありませんがそんな思いで
ボランティアを買ってでました。
自分はそういう思いでしたが、あとの二人は渋滞にあった通りがかりの若者
二人です。
見た目がヤンキー風でしたが、びっくりするほど真面目に取り組んでくれたことに
感謝の思いと「人は見かけによらない」という思いも実感した、昨日の出来事。
今朝、新聞に記事として出ていました。
重傷でしたが、命に別条がなくてひと安心。
原因は「ながらスマホ」による運転。
現行犯逮捕となりました。
]]>
今週末も、また来るようです。
週末が潰れるのは勿論のこと、身の安全についても
確保しなければなりません。
また最近では珍しい「停電」が多いのが今年の特徴です。
オール電化の家庭では、こういう事態が一番キツイのでは
ないでしょうか。
まだ過去の台風被害から復興、復旧していない家も沢山あります。
追い打ちをかけるような台風は、もう来ないで欲しい。と切に願います。
]]>
観測史上最大規模の「暴風雨」。
勢力が衰えないまま上陸。
岐阜県は進路がど真ん中。
さすがに「警戒」しました。
また21号の時のように「停電」や
「暴風」を経験することになるかと
構えておりましたが、結果、無事にやりすごす
ことが出来ました。
今回は何事の被災もなく終わりましたが、
また来週に台風が来るとか。
今年だけなのか、これからもなのか、
いずれにしても住みにくい環境となっています。
]]>
戻り猛暑で「残暑」厳しい日が続きますが、今週末は
もう「秋の彼岸」です。
連休が2週続きますが、行楽ではなく「復興」に
時間を費やす人も多いのはないかと思います。
かくいう自分もその一人。
復興は終わりましたが、身体の調子がまだ戻っていません。
復調するまで、まだしばらく時間がかかりそうな気がします。
精神的なものが作用していると、余計厄介だと体感しています。
]]>
会場の設営や駐車場での誘導係を任命され、
何とか任務を果たすことができました。
高齢者は益々増えるばかり。
ということは敬老会への参加数も増えていくという
事になります。
また参加者の平均年齢も徐々に上がっていくと思われます。
敬老会へ参加出来る方は当然「お元気」ですが、そうでない人も
多いとデータを見て分かりました。
いずれは自分たちもこの「会」に参加する立場になります。
その時にはこのような「会」が存在しているかどうか、
皆目見当がつきません。
超高齢化が進む日本を若者世代が果たして支えられるのか、
こちらも見当がつかず。
]]>
この1週間は台風21号の影響で停電や復旧作業に追われ
あっという間に過ぎてしまったという感じです。
秋になってはいますが、秋雨前線での大雨や戻り猛暑という
暑さに振り回されております。
この暑さで長く聞こえる「蝉」の声。
今日も雨の合間に鳴いています。
]]>2か月経ってようやく落ち着きだした、という
9月4日に「台風21号」の暴風でまた「被災」
してしまいました。
今回は外部「パーゴラ」と「レンガ積み」の焼却場
そして積んであった「薪」の山崩れの3カ所。
4日夕方から「停電」になり翌日もそのまま停電だったので
すべて「手作業」での復旧作業となりました。
「パーゴラ」は思い切って「解体」としました。
またいつ来るか分からない「猛威」に不安を消すことが
出来なかったのが理由です。
薪は早々に積み直し、レンガ積みはセメントをホームセンターで
買ってきて、こちらも積み直し。
9月6日の未明に電気が復旧したので、パーゴラを
インパクトと丸ノコで解体しながら、出来たてのレンガ焼却炉で
半日かけて燃やし尽くしました。
今回は何とか2日間で復活しましたが、テレビでは「北海道」の
大地震が起きていることを知り、唖然としました。
全国各地で「まさか」という天災が起きています。
うちは2度の被災で正直、落ち込みましたが北海道は
これからが大変です。
他人事とは思えない状況です。
日本列島全体が「危険」に晒されています。
]]>
予報が出ています。
東海地区は台風の右側に位置するため「強風」が
吹き荒れそうだということです。
雨も脅威ですが、「風」も恐ろしい脅威です。
たまたま出かける用事が今日であったため、よかったですが、
明日は外出を控えたほうが良さそうです。
明日、台風が上陸するとは思えない、今日の「晴れ」
嵐の前の静けさ、という感じです。
]]>
昼間は「蝉」がまだ勢いよく鳴いています。
夜になって涼しくなると、「鈴虫」の声が聞こえます。
「蝉」は夏、「鈴虫」は秋の季語になるかと思いますが、
夏も秋も入り混じった一日です。
蝉の鳴き声が聞こえなくなれば、「本当の秋」となりそうです。
残るは「ミンミンぜみ」くらいでしょうか。
]]>
TBS系で中継されていますが、水泳、陸上は
当たり前。
今回変化があったのは「バドミントン」
やはり世界トップレベルまでになると
放送せざるを得ないのか、真意は分からないけれど
嬉しいかぎりです。
まだまだ放送されない競技は沢山あります。
「アジア」という中途半端な地域でのオリンピックですが、
今回は注目しています。
]]>
東海地方では三重県が酷かったようですが、岐阜も強風や雨、雷が
ありました。
フェーン現象だと思いますが、風は暖かく湿っぽいので寝るのも
大変でした。
気象予報のとおり、「台風一過」はなく、相変わらず鈍よりとした
天気となっております。
今年は例年以上に台風の上陸や台風発生が多いのではないかと思います。
8月も残りあと1週間。
ただただ「暑い」夏、でした。
]]>
涼しさが感じられるようになりました。
7月には津保川河川の氾濫。
40度超え連発の天気。
台風の異常な進路。
そして今は「ダブル」で台風が接近しています。
今年はいつにも増して「異常」な天候が続きます。
おかげで、体調も崩れました。
残暑は程々にしてもらい、出来るだけ「長い」秋と
なるよう、希望しております。
]]>
決勝戦は大阪の大阪桐蔭と秋田の金足農業になりました。
大阪桐蔭の根尾選手は岐阜県飛騨市出身ということと
春夏連覇がかかっているので、こちらを応援したい気持ちが
ありますが、金足農業は岐阜県代表の大垣日大に勝った高校なので
こちらにも勝ってもらいたい気持ちがあります。
また、勝利のあとに斉唱する校歌の歌い方がとても感動的であり、
それも応援したくなる理由です。
どちらが勝ってもおかしくない勝負になると思いますが、
100回に相応しい「好ゲーム」を期待しています。
どちらも悔いのないよう。
]]>涼しく冷たい「風」となりました。
今日は「台風一過」のように涼しい風が吹き
天気も晴天です。
今までが、あまりに暑過ぎてそのギャップで
とても良い天気だと体感してしまいますが、
それも今週中だけとの予報で、来週からまた
いつもの「暑さ」に戻るとの事。
盆が明けてこのような清々しい天気は何か
皮肉っぽいですが、良い天気に越したことはありません。
エアコンなしで過ごせるのはやはり快適です。
]]>
バーベキューも散々な結果になった、という人も
多かったことでしょう。
一日に何回もころころ天気が変わり、そのたびに
右往左往するばかりの「お盆」でした。
徹夜踊りも、お盆も今日でひとまず、「終わり」と
なります。
あとは「残暑」との戦い、そして「台風」との
戦いが待っていると思われます。
外では「蝉しぐれ」に混じり「とんぼ」が飛び始めています。
夜は少しだけ温度が下がってきている感じがします。
もう、40度超えはご免です。
]]>
いつになく暑い「お盆」です。
そして、「7月豪雨」による災害復興半ばの方も
多い中での「お盆」です。
異常に暑いだけの夏ですが、最近になってようやく
「夕立」や「雷雨」により「雨」が降るようになってきました。
しかし、人間にとって都合の良い「雨」の降りかたはなく
「局地的」に豪雨となったり、落雷を伴ったりで、とても
脅威を感じる天候です。
お盆の期間だけは穏やかな天気であってほしいと願っております。
]]>
気温41度。
また下呂市金山町も40度超えでした。
自分の住む町はこの美濃市と金山町の「間」にあります。
どちらにも隣接しています。
観測所がないので計測されていませんが、もしかしたら
この場所が日本一の場所かもしれません。
それぐらい「暑い」ところです。
岐阜の真ん中がどうして日本一暑いのか、
いまだに分からない。
昔はそんな場所では無かった筈だったけれど、
いつから、こんな風になってしまったのか。
今日も40度を超えそうな天気。
]]>
しかし、実際は「真夏」のまだ序盤。
40度超えというのが当たり前になってしまったこの地方。
雨はほぼ1カ月降らず、台風13号も進路を変え、
雨の期待は外れてしまいました。
このままずっと続くと「ひからびて」しまいます。
蝉は元気に鳴いていますが、他の動物たちは
どう過ごしているのでしょうか。
毎年毎年暑くなるばかり。
今が限界ですが、これを超えるような天気になると
冗談抜きでここには住めなくなるかも。
とりあえず、「エアコン」があって助かっております。
今、電気と水が無かったら、本当に生きていけない、
という状態です。
]]>
広島は今「水害」により大変過酷な状況となっています。
岡山やうちの住む岐阜、中濃地方もまだまだ復興中です。
野球やサッカーでは広島のチームが上位にいることで
地元市民の方に多少なりとも元気を与えていることだと
思います。
一方、名古屋や岐阜では「野球」も「サッカー」も
苦戦を強いられています。
勝っているのは「気温」だけ。
雨が全く降らず、照りつけるだけの太陽。
せめて「夕立」だけでも来てほしい「岐阜」の
願いです。
]]>平成時代になった頃は「地球で一番素敵ないなか町」
という、意味の分からないスローガンをあげておりました。
そのスローガンはただ掲げただけで、何をどうこうすることもなく
「平成大合併」により「田舎」は「市」となり、スローガンも
どこへやら。
そして、今年はいよいよ平成最後の年、ということで
「ありがとう平成」という理由を付け、イベントを
展開しようとした矢先、「津保川豪雨」による大災害発生。
ありがとう、という雰囲気は飛び、一転「復興」への厳しい
道のりとなりました。
「地球で一番素敵ないなか町」は達成するべくもなく
事実上、消滅しましたが、「日本でほぼ一番暑いいなか町」という
不名誉な一番は達成しそうです。
連日40度近い猛暑日。
もしかしたら「地球で一番住みにくい町」なのかもしれません。
]]>
理由は「熱中症」対策だとは思いますが、プールは
その体を冷やすための施設だと思っておりました。
しかし、プールサイドが高温になるだとか、泳いでいても
汗をかくから熱中症になるだとか、という理由で使用を
禁止したと考えられます。
もし、仮に事故でも起きたら、「責任」を問われることに
なる、というのが本筋だとは思いますが。
でも、元気な子供たちがプールの使用を禁止されて、
果たして子供はどう過ごすのか。
エアコンの効いた部屋で涼んでいろ、ということでしょうか。
公園や川で遊ぶことはもっと危険かもしれないけれど、それでも
いいのでしょうか。
暑過ぎるのは理解できるけど、これでは子供も抵抗力や耐力、
免疫力など、全て落ちていくような気がします。
プールサイドにテントを張れば「日陰」が出来るし、監視体制を
しっかりすればプールで泳ぐことは出来ると思います。
これだと海外(南国)の海や暑い海岸では泳げない子供が増えるばかりだと
思います。
沖縄県民は海に入る時シャツを着て入るのが普通のようです。
これにならって、こちらでも対処すれば十分に泳ぐことは出来ると
思いますが。
自分だったら、プールが禁止になれば「川」へ一目散、です。
]]>災害を被りました。
あれから、雨は全く降らず、砂煙の舞う中での
復興作業が続きました。
そして、ようやく「雨」が降りそうだという
ことですが、来るのは「台風」
それもイベントが多い週末。
花火大会や夏祭りを中止に追いやる勢いです。
「雨」も「暴風雨」になるかもしれない。
「七夕」も「夏祭り」も中止にさせる気象状況。
それに加えて「猛暑」の連続。
あの、楽しかった頃の「夏」は何処へ行った。
吉田拓郎の「夏休み」のような夏はもう来ないのか。
悲しい限りです。
]]>
ここ岐阜県美濃地方も、もう何度も超えています。
今までは35度を超えることが、物凄く暑い
「猛暑」という扱いを受けていましたが、それが
今年は40度に上がっています。
なので、毎日40度近い気温の中で生活している
身としては、それに慣れてしまい、35度程度では
かえって「少し涼しい」という感覚になってしまっているのが
現状です。
35度であれば「御の字」という現状。
絶対、おかしい。
]]>「岐阜」って何がある?
高山や長良川など、有名な所もありますが、
いま一つ目立たない県
今年は朝ドラで一部地域が盛り上がっていますが、
それ以上に「レッテル」を貼られたのが「暑さ」
多治見は暑いことで有名ですが、今年は多治見以外の
揖斐郡、美濃市、郡上市など、至るところで全国クラスの
高温を記録しています。
暑いと言えば「岐阜」
海がなく、山が多いのに暑い地域。
こういうので有名になっても全然嬉しく
ありません。
高温だけでなく、ここ2週間以上「雨」なし。
干からびてしまいます。
これだけ暑くても積乱雲が出来ず、夕立もない。
本当に異常気象。
8月が恐ろしい。
]]>
あの豪雨以来、まともに雨は降っていません。
しかも、記録的な暑さの連続。
人を嘲笑うかのような天気。
体調も一向に良くならず、動きたくても動けないもどかしさ。
災害支援ボランティアの支援には本当に有難味を実感し、
人の暖かさが身に沁みた。
でも、それも今日で一区切り(終わり)とのこと。
体力的にも精神的にも酷な2週間。
でも、まだ終わりではなく、継続している。
平成最後にして最大の水害被害になるとは誰も
予想できなかっただろう。
とりあえず、体調だけでも戻さないと前に進めない。
]]>あったことで、一躍話題となったのが、30年前の事。
今年で「平成」の時代は終わる、というこの最後の年に
目の前の「津保川」が氾濫して大災害となり、これもまた
話題となってしまった。
住んでいる者としては、どちらも「喜ばしい」ことではない。
7月8日未明から10日間。
未だ復興半ばです。
そして、どういう訳かこの辺りは今、全国一の暑さと
なっています。
多治見市が40,7度
美濃市が40,6度
美濃市はこちらと隣接する地域。
気温はほぼ同じかもっと高いと思われます。
全国一暑くて、全国一住みにくい場所となっています。
平成時代は最初から最後まで
波乱にとんだ時代だったと言わざるを得ません。
]]>
痰もよく出るようになったので、もう
治る頃だろうと思っていたけど、一向に
治らない。
そして「豪雨」のよる災害の発生。
体の具合どころではなく、無我夢中で動いて
いたら「治る」と思いきや、余計に酷くなってしまいました。
痰が詰まると呼吸が出来ず、のたうち回る。
息が出来ないとこれほど苦しいのか、と実感する、そして
呼吸がいつ戻るか分からない、恐ろしい恐怖感。
横になって寝ると痰は溜まり、喉を詰まらせる。
なので座位で寝る。でもまともに寝られない。
災害復興と病の平行線が続く毎日。
心身共に苦しい時。
これを越えなければ、明日はない。
ストレスが病の原因にもなっていると思う。
自覚症状ではなく、無意識に
]]>行政へ要請してほしいとの報告があり、急遽、見取り図と文面を
作成してFAX送信しました。
直ぐには対応してくれないだろうと思っていた矢先、
携帯に着信があり、すぐ手配しますとの事。
思いのほか早い対応に感謝し、しばらく待つと
ボランティア要員が4人ほど来てくれて、状況説明の
あと早速作業にとりかかってくれました。
市外や県外からの参加もあるといいます。
暑い最中、真面目に取り組んでいただける人たちに
またまた感謝しつつ、スーパーへ飲み物を買い出しに行って
皆さんにお配りしました。
報酬もない、完全なボランティアに、本当に感謝、感謝です。
]]>
だったので、忘れないように記録、と記憶を含めて文章にまとめたいと
思っています。
明日は我が身、ということで、参考にでもなれば、との思いです。
]]>
日付が変わった7月8日の午前1時半に水は堤防を越え、
事務所1階へと浸水してきました。
朝方4時半まで浸水はし続け、床上1mまでに
なりました。
5時ごろには引き、それからは泥のかきだしや泥の着いた物の運び出しです。
幸い水道が使えたので、ひたすらその作業に追われ、気づけば夕刻。
その間眠気は一切なく、「気」が張り詰めていたのだと思いました。
22時に倒れるように床に就きました。
まだ作業は残っていますが、同じ被災となった近所の人とも
協力しあって作業を進めるしか手立てはありません。
前日の岡山、広島の惨状をみて、まさかうちは無い、と
思っていた数時間後の出来事です。
今日は、うちだけではなく数多い方達によって泥だしなど
復旧作業に追われることになると思います。
自分だけではない、と考えて心を折らすことなく
前へと進みます。
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家(自宅)は平成地区(へなり)のある地区だったことも
あり、この「平成」については何かの因縁を感じております。
巷では「平成ありがとう」などと最後のセレモニー?イベント?で
盛り上げようと躍起になっていますが、正直「ありがとう」の実感は
ありません。(あくまで個人的な感想です)
平成が終わるということになってテレビでは当時の賑やかな様子を
放送する機会が増えていますが、あの「平成フィーバー」は本当に一瞬の
出来事であり、経済、産業を上手く便乗させることは全くありませんでした。
唯一、道の駅が出来たことぐらいでしょうか。
また平成時代半ばにこの武儀町は合併により「関市」となり
「武儀」の名前は無くなってしまいます。
この合併では住民投票などの審議もなく行政サイドにて決定
されてしまいました。負債を受けてもらえるために諸手を挙げて
「吸収合併」されたのです。
喜んだのは町の職員ぐらいではなかったでしょうか。
平成で盛り上がった時には「地球で一番素敵な田舎町」という
スローガンで看板が掲げてあったのが、「市」になりました。
全国にはうちらと同じように、どう見ても「ど田舎」なのに「市」であるところが多いと見受けられます。
他の地区はどうか分かりませんが、吸収合併されて町民いえ市民は環境が果たして「良くなった」のか
「悪くなったのか」、恐らく「良くなりました」という地区は少ないのではと推測します。
役場は「支所」となり、
職員は知らない人が増え、
窓口での応対はただ事務的。
融通が効かない。
不正を許せとかそういう意味ではなく、
「マニュアル」どおりにしか対応できない、という意味です。
要望等は全て聞くだけで全て本庁(市)にお伺いを立てないと
返事も来ない、という状況。
そして役場(支所)には本当に用事(住民票など取得)がない限り
誰も寄りつかなくなり、駐車場はいつもガラガラ。
体育館等の施設は無料から有料に。
税金も市民税となり、
町での行事、催事も数年の猶予で開催はだんだん無くなり、
若者はどんどん市街地へ流れていきます。
「地域振興の何とか員」というのを派遣、設置したため市としては
地域振興についての責任は免責となり、更に行政に頼らず地元住民が
立ち上がらないと、という正論だか何だか分からない倫理で問題を
地域に丸投げしているのがそこかしこの地域で繰り広げられています。
その「何とか員」さんには毎月ちゃんと給料(税金から)が振り込まれるので
観光気分で行事に参加したりインスタあげたりSNSで発信するだけでも
充分「仕事」をしたことになります。
中には本当に一生懸命に活動されている人や契約終了後にそのまま住みついて
頑張っている方もいるかと思います。そういう方が来た地区は羨ましい、としか
言えません。
話は戻りますが、平成になり市になり、良くなったことと言えば
バスの賃金が安くなったことぐらいでしょうか。
これは元々の市が巡回バスなど低賃金で乗れる路線があることで
これを旧郡部に適用させた(しないと反感を買う)のだと思われます。
よって、「平成ありがとう」の実感は自分にはありません。
どうしてこのような文章を書いたのかというと、昨日の
オウム真理教「死刑執行」の報道を見て、この事件での被害者方は
平成の始めの事件により平成が始まり、被告人の死刑執行によって
平成時代を終える、ということが分かったからです。
被害者の方々にとって「平成時代」とはとても「良い」とは言えない
苦しい時代になってしまうのだなと思ったからです。
自分はそれとは比べ物にならないくらいちっぽけな内容でしたが
平成時代とは、そんな「うきうき」した時代ではなかった、という
ことです。
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「7月4日に生まれて」という映画が
あったような。
戦争が題材で、トムクルーズが主役だったような。
そんな、かすかな記憶。
梅雨でありながら暑く、夏と梅雨が入り混じった天気が
続きます。
エアコンはぎりぎりのところでまだセーブしていますが
使うのも時間の問題かと。
朝から晩まで「鬱とうしい」天気です。
日本のワールドカップも終わりました。
若者たちはこれから、何に盛り上がるのでしょうか。
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梅雨とは言い難い「猛暑」や「竜巻」や
「局地的豪雨」など、気候は真夏のようです。
自治会では「虫送り」(神事)や草刈りなどの
行事がございます。
田舎に住んでいる以上、こうした自治会の付き合いや
活動は避けて通ることは出来ません。
一部、参加されていない人やこういうのが嫌で引っ越しされて
行く方も実際にはおります。
「田舎暮らし」とは聞こえが良いイメージがありますが
こういうダークな面も確かにあります。
そういう訳で昨日はその草刈りと虫送りをしました。
熱中症やケガなどに注意しながら、無事に行事が終わり
一安心です。
今年はその自治会の「長」として責務を果たすべき
東奔西走しています。
結構、大変ではありますが、やりきるしかありません。
]]>注意報が出るようになりました。
日本ではアメリカほど「竜巻」が発生することは
ないと高をくくっておりましたが、実際昨夜滋賀県で
その竜巻が発生し、民家等の屋根を抉っている記事が
今朝の新聞に掲載されていました。
昨夜はこちら(岐阜)も、超局地的に雨、風、雷の猛威が
起きました。
恐らく一連の雨雲達の仕業ではないかと思います。
隣町の美濃加茂市では豪雨により断水の世帯が
数多くあるということです。
たまたま被害を免れただけで、いつ直撃されても
不思議ではない、という状況です。
とにかく今年も異常気象であることに間違いはありません。
体調維持もままならず。
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6月25日
ついに「蝉」が鳴き始めました。
梅雨の最中ですが、非常に暑く場所によっては
「猛暑日」となっています。
確かに夏至の日は過ぎていますので季節としては
夏になりますが、まだ「蛍」も飛び交う日々に
少々早いのではないかとも思います。
昨日においては夏の終わりに鳴くような「ひぐらし」の
鳴き声が聞こえました。
初夏にこの鳴き声を耳にするのは「意外」としか
いいようがありません。
また、異常に寝苦しい蒸し暑い日となっています。
今年の夏は更に厳しい夏となるような気がします。
]]>思われます。
午前0時にキックオフしたワールドカップの日本対セネガル戦
自分は前半だけ見て寝ました。
結果2−2の引き分けだったそうです。
とりわけサッカーの熱狂的ファンではないけれど、でも
やはり国を代表して戦う試合は「観たい」と思わせます。
あとひと試合で決勝リーグへの道は決まります。
FIFAランキング61位の日本ですが、
「番狂わせ」を期待しております。
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日本は初戦に勝ちました。
視聴率も凄かったと思います。
しかし、オリンピックでもないこの大会が
全世界で盛り上がる、という競技は本当に
少ないと思います。
バレーでもスキージャンプでもオリンピック以上に
盛り上がるものは思い出せない。
来年日本で開催のラグビーワールドカップも
世界規模で見ると今ひとつ、というのが現状です。
あの野球でさえオリンピックの種目から外れるということは
それだけ世界での競技人口も多くないということらしい。
サッカーはその点、ボールがひとつあればどこでも誰でも出来る
スポーツです。
それにしても、この盛り上がりぶりは異常なほど。
かくゆう、自分も結局全部見ました。
ただ、少し気になるのは「ファール」
意図的に反則を犯すことを「やむを得ない」と解説するのも
おかしいと思います。
過剰なファールアピールや無駄な時間稼ぎも、サッカーではあります。
ラグビーのように正々堂々とプレーするサッカーを個人的には
希望しております。
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こちらでも震度2程度の揺れがありました。
大阪北部が震源で震度6の直下型地震。
時間こそ10数秒だったとのことですが、投稿されている
動画などを見ると、「秒」の長さより「揺れの大きさ」が
注目されます。
一瞬でも大きな揺れが発生すれば普段ならば倒れないであろう物も
倒れます。
今回、ブロック塀が倒れたことにより尊い命が奪われました。
普段通り慣れている通学路。
まさかそのブロックが倒れてくるとは誰も予想していなかったのでは
ないかと思われます。
地震によって浮き彫りになった構造問題。
これを教訓に対策が施されると思いますが、しかし
やはり、亡くなった方のことを想うと、残念でなりません。
あと、数十秒、数秒ずれていたら助かっていたかもしれない命。
ご冥福を祈るしかありません。
]]>なっているようです。
週末には各地で「ホタル祭り」なる行事があるかと。
梅雨時で昼間は蒸し暑く、夜は幾分涼しくなっていますが、
川面に舞い飛ぶあの「灯り」は幻想的です。
ずっと線香花火を見ている感じ。
寿命も花火と同じ。
綺麗な時間は僅かです。
近いうちに観に行きたいとおもいます。
]]>シンガポールで実現しました。
北の代表は幾分緊張したような面持ちでしたが、やはり
アメリカのその人は堂々としておられました。
拉致問題について提起されたとのことですが、当事者である
日本は、どこか蚊帳の外という印象を受けました。
アメリカは日本の「兄貴分」という感じでこの「拉致問題」について
提言してくれたのでしょうか。
いずれにしても拉致被害家族にとっては、どのような形であれ
日本へ戻ってくれるのが一番の喜びです。
アメリカの声かけにより「動き」があれば、トランプ様様です。
そして仮にそうなった場合は日本の「力なさ」を認めることになります。
不謹慎かも知れませんが、認めるような事態になれば、これ幸いでは。
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